ふと目にしたものが大切なメッセージ

三連休初日、車を運転していたら、道を外れて道路脇のスペースに突っ込んでしまった車を見かけた。
わ〜大変そう〜
と思いながら、その場を通り越した。

翌日午後から家の前の畑に行っていた。
向かいの道路で、また道を外れて脇の空き地?に突っ込んで戻れなくなっている車がいた。
ちょっと段差もあるし岩もあるしで、出るのがかなり難しそうな状況だった。
ご近所さんいわく、朝からずっとその状態らしい。
途中でレッカー車が到着した。
レッカー車で車を引っ張るのだけど、ピクリともせず、なかなか時間がかかりそうだな〜と思って見ていた。

結局わたしが畑にいる間に車は道の脇から出ることはできなかった。

ご近所さんと畑のお爺さんの娘さんに、「昨日も道の脇に落ちた車を見かけたんですよね〜最近多いんですね」なんて言ったのだけど、家に帰ってから、ふと思った。

こんな立て続けにこの状況を見るって、何かのメッセージじゃない?

って。

浮かんだのは、

「道を外すな。
1度道を外したら戻ることは大変だ」

という言葉だった。

この「道を外すな」という言葉が意味することは、わたしにとっては、”社会に飲まれるな”に近い言葉だと思う。

いろんな選択で道を外して遠回りするのはわたし個人的には全然いいと思ってる。

このメッセージはそういう意味での道を外すなってことではないな、と思った。

いつだって、愛に戻りなさい
いつだって、内側の静かな場所に戻りなさい

自分以外の外側を見始めて、社会や他者からの承認を求め始め、恐れの中にどっぷり突っ込んでしまったら、内側の静かな場所に戻ることは難しいのだよ

そんなメッセージだと思った。

足を突っ込むギリギリのラインで止める。
戻す、戻す、戻す。
自分を神聖な美しい場所、内なる静けさに戻すのだ。

この世界で生きている以上、簡単に道を外すことができる。
ここでいう”道”とは、愛であり、純粋さであり、内側の静かな部分のことを指しているのだけど、その道は、まだ今の段階においてはとても細く険しい道だと思う。
すごく意識を保って、集中していないと簡単に道から落っこちてしまうもの。
道の脇には競争や嫉妬、承認欲求、顕示欲や権威欲、損得勘定、不足感、不安、恐れを土台にしたすべての純粋ではないものがあちこちに散らばっていて、少しでも触れると、ズルっと簡単に滑り落ちていくような感覚。

そこにどっぷり浸かった瞬間、”静かな安心”に戻ることがとても難しいことになる。

そのときは、
なんで今このメッセージ??
と思っていた。

だけど翌日、ひどい頭痛に襲われた。
吐き気を伴うような。

あ、わたし道を外してたんだな。
と思った。
わたしは外側の人間を見ていた。
外側に振り回されていた。

頭痛が起きるとき
わたしの身体はとても重たい
何もする気になれない
ちょっと吐き気もする
身体が緊張してガチガチ

そんなときに、
静かに座って自分の内側の神聖な部分を感じている
ということはなかなか難しくなる

いつもよりたくさん寝たり、マッサージに行ったり、自然の中に行ったり、自分のエネルギーのケアをいつも以上にスペシャルにしたり、あらゆることをして身体の重みをとってからでないと、静かに座ることなんてできなくなる。

道を外すと戻るのが大変だ

だから大きく道を外れないように、日々、日々、自分の状態を確認する、感じる、恐れに気づく、本当の自分に戻す、この日々の習慣が本当に本当に大切なんだな。

身体が快適でないときほどできなくなるから、快適なときこそ自分へのケアが重要なんだと思った。

それからもうひとつ、見るもの触れるものがとても大事だということ。外側の目に見えるものからは分からなくても、その周波数を感じると、とても重たいものがある。そこに触れると一気に自分自身の周波数も下がっていく。
SNSやニュースなんてその最たるものかもしれない。

同時に、触れるだけで自分の意識が中心に戻っていって急に静かになる感覚を感じることもある。美しい自然、エゴが入っていない純粋なモノ、言葉、文章など。

何を見て、何に触れるのかに注意しなさい

今回の出来事から、そんな言葉も同時に受け取ったのだと思う。


最後に関係ないけれど、
最近目にした美しいものたち。

太陽と鳥居
お気に入りの場所 岩に座りながら見える景色①
お気に入りの場所 岩に座りながら見える景色②
お気に入りの神社
紅葉
樹齢1200年超の木々