“壊れる”ということ

昨日の朝、最近1番たくさん使っていたお気に入りの益子焼のお皿(夫に、このお皿は1軍のトップだと言っていた)を床に落として割ってしまった。ただダイニングテーブルからシンクに運ぼうとしただけなのに。
夫とわたし用で同じお皿が2枚あったのに、1枚だけになってしまった。

ちょうどひとつ前の記事で載せてた写真

 

ある日の畑で採れた野菜たちを使った夜ご飯を撮ったもの。 この白いお皿。

 

綺麗に割れた

唖然として、本当に10秒くらい固まってしまった。
「え?なんで?なんで?なんで落とした?しかも、お気に入りのこのお皿。なんで?」
頭の中はショックでいっぱい。

少し経ったら、
「この出来事の意味は何?」
と考え出した。

そうおもっていたら、
あ、金継ぎすれば良いんだ。
金継ぎしよう。

器やさんに行って同じお皿また買う?
いや、これは金継ぎで直すから、これを機に新しいお皿を買おう。

と浮かんだ。

なんだなんだ、良いこといっぱい!
と半ば無理やり、ポジティブに捉えた。

お皿を割ったこの出来事は何をわたしに教えたかったのか、あとでじっくり考えてみた。

・ボーッと頭の中で考え事していたことに気づかせてくれた。(どこに意識があるかに注意せよ、というサイン)

・すべてはものの捉え方次第。出来事に良い悪いはない。

・起きる出来事すべてが学びである。

そんなことが浮かんだ。

「壊れる」にちなんで、わたしにとって忘れられない神秘的な出来事がある。

わたしが新卒で入社した会社を退職して転職で東京に行ってから初めてむかえるお正月のことだった。
1月2日の早朝。
朝目が覚めると、元旦の夜まで動いていたiPhoneがどこを触っても何をしても動いてくれなくなった。静かに息を引き取るような、寿命のように感じた。

iPhoneにはバックアップをとっていない数年分の写真が入っていた。
それから、その当時LINEに電話番号もメールアドレスも登録してなかったわたしは、そのiPhoneからしかLINEのアカウントにログインできないようになっていた。
つまり、今まで使っていたLINEのアカウントにもう二度とログインできなくなってしまった。

今までLINEで繋がっていた人との繋がりが全て消えた。過去の思い出の写真も全て消えた。
新しい年が始まったばかりというタイミングで。

初めはどうしようどうしよう、とパニックだった。
だけど少し時間が経つと、不思議なほど落ち着いてきて、清々しい気持ち、”よかった”とホッとする気持ちすら感じ始めていた。

転職した年は、過去の自分とさよならしたくて仕方なかったけれど、過去に引っ張られてもがいていた期間だった。新しい自分になりたいわたし、過去を捨てきれない自分とのはざまにいた。

過去の友人たちに認められようと、好かれようと、輪の中に入ろうと思えば思うほど過去に戻されていく感覚。
だけど、そこを断ち切ったら孤独になる不安、嫌われることへの恐れ。

せっかく環境を大きく変えたのに、過去にしがみついて離れようとしないわたしに、「強制終了」が起きたのだと思う。

LINEのアカウントが消えたことは、わたしにもう必要のない人間関係を断ち切るためだったと思った。

わたしは新卒で同じ会社に入社し同じ部署に配属された同期と婚約した後にお別れしていた。そのiphoneにはその人との思い出もすべて入っていた。

その写真がすべて消えたということ。

もうまったく新しい人生をこれから創っていくんだ、と覚悟が決まった時だったかもしれない。

何を後ろばかり振り返っているのだ
なぜ過去と同じ思考・行動ばかりしているのだ
進みなさい、前へ。
断ち切りなさい、過去を。

そう言われたと思った。

“壊れる”ということは、運が悪いことでも、いけないことでも、自分を不幸へ突き落とすものでも何でもないのだと思った。

きっと、何かを教えようとしてくれているのだな、と。

人との関係性が壊れることも然り。

そこから何を学び、何に気づき、どう意識が変わり、どう反応し、どう行動を変えていくか。

ただそれだけなのだよな、と。