鉄フライパンのメンテナンスとセルフケア

なんだか、カタカナだらけでカチコチな感じのタイトルになってしまった。笑

購入してからすぐ、使わなくなっていた鉄フライパン。1年以上使っていなかったと思うのだけど、ここ数ヶ月の間に、復活した。
また使い始めている。

 

扱いが難しくて、というか面倒で…
我が家にもうひとつあるフッ素加工のフライパンを使ってしまったほうが早かった。だけど、フッ素加工のフライパンってわりと駄目になるのが早いなぁと思い始めた。
この先ずっと数年単位で買い替え続けるのかぁ、、と思ったら、永遠?に使える鉄フライパンがやっぱり魅力的に思えた。

鉄フライパンは「油ならし」といって、定期的にフライパンに多めの油を入れて、何分間か火にかけてフライパンの鉄の表面に油をなじませる作業が必要。そうすることで、油の薄い膜を作って焦げ付きにくくさせるのだそう。

買ったばかりのころは、ルンルンで油ならししながら使っていたのだけど、だんだんと油ならしが面倒になってきて、油ならしをせずに使うことが増えた。
そうすると、当たり前だけど、油のコーティングがなくなるからフライパンに食材がこびりついて全然なめらかじゃなくなる。
その状態で餃子なんか作ってしまった日は、、
たしか、鉄フライパンが嫌になって使わなくなったのは、餃子がきっかけだったと思う🙃

それでもやっぱり鉄フライパンを使いたくて、というのと、ずっと使っていたフッ素加工のフライパンがそろそろ替えどきということもあって、やっぱり鉄フライパンに戻ってきた。

でも、ちゃんと油ならししていたら、やっぱり全然焦げ付かず、スルスルっと使えてしまうから気持ちが良い。
この前餃子を作った時も、餃子がスルッと剥がれてとっても美味しくできて気持ちがよかった。

今回はチャーハンを作った。
途中でお米がちょっとフライパンにこびりつくんだけど、最後にはちゃんとそのこびりつきもサラッと取れて、↓の写真のように全くこびりつかず、スルッと混ぜることができた。
なんとなく、気持ちの問題かもしれないけれど、チャーハンは鉄フライパンの方がベチャッとならずに美味しく作れる気がしている。

油の薄い膜をはってあげると、サラッとスルスルっといってくれる鉄フライパン。
使う前に毎回たった2〜3分油ならしの時間をとってあげるだけで、全く違う。
本当は毎回もしなくても良いけれど、毎回してあげるとやっぱりどんどん使いやすくなっていく。
毎回しない場合は、たまに10分程度ちょっと長めの油ならしをして使ったりする。

そんな油ならしについて考えながら、人間のセルフケアと一緒だなぁなんて感じていた。

わたしは、人間はエネルギー体だと思っている。
身体からエネルギーが波となって波動となって出ていると思っている。
日々起きる出来事に反応して感情が沸き、そのエネルギーの波が軽くなったり、重くなったりしているのだと思っている。

以前、毎日エネルギーをクリアな状態にしないことは、お風呂に入らないのと同じだと言われたことがあり、わりと納得している。

例えば、今感じている感情を書き出したり、整理したりすることで、スッキリすることがある。これはエネルギーをクリアにする行動のひとつなのかもしれない。

わたしたち人間から発せられる空気、波の中には、感情も影響していて、ネガティブな感情はその空気をどんより重くさせているのかもしれないと思ったりする。

油ならしのコーティングって、その次の段階の作業だなってちょっと感じていた。
そもそもフライパンが焦げ付いて汚れていたら、油ならしすらできない。できるのかもしれないけど、そんな汚れたフライパンに油を注ぐ気にもなれない。

汚れを落とした後に油ならしをする。

もちろんフライパンが焦げ付いて汚れていたら、入れた食材まで一瞬で真っ黒に汚れてしまうし、全く炒め物がうまくいかないと思う。
油ならしをしていないと、見た目は別に変わらないんだけど、なんだかガサガサっとして、スルスルいかない。
そして少し時間が経つと焦げ付いてくる。

人間も同じなのかもしれない。
日々の感情を浄化して、クリアにする。汚れを取る。
そしてもうひと手間。
温かい、やわらかいものでコーティングするような時間があったらもっと人生がなめらかなのかもしれない。

自分自身をほんわかするもの、やわらかいもの、温かいものでじっくりゆっくり包んであげる。
ただそれだけの時間。
その時間をたった10分でもとってあげるだけで、少しだけ、次の行動が変わってくるのかもしれないし、
その後に起きた出来事に、あれ?って思うほど、するするっと対処できてしまうのかもしれない。

きっとそこには、
そんな時間を持つことが大事だという確証を自分の中に持つ必要があるだろうし、
自分を大切にしたいという強い気持ち、
それから、ガザガザっとした人生は終わりにしてスルスルっとした人生を生きたいという強い意思が必要なのかしら。