前回のつづき。
西表島の最終日、宿のオーナーさんが船のターミナルまで車で送ってくださった。
ずっと聞こうと思っていたことを聞いてみた。
「どうやってこの古民家を見つけたんですか?」
「それが、不思議な話なんですけどね・・・」
という始まりで、その話は始まった。
それは、わたしの予想通りの始まりだった。
そうくるだろうな、と心のどこかで思っていた。
思っていたからこそ、聞いたのかもしれない。
そのお話は↓のようなお話だった。
オーナーさんが西表島のビーチを歩いていたときのこと。
普段は人がほとんどいないビーチに1人の男性がいたのだとか。
(そのビーチはわたしたちも宿泊中に何度も行った、宿の近くのビーチ。わたし達はそのビーチに何時間も滞在したけど、その時間、誰一人にも会わなかった。)
ビーチでその男性に不意に話しかけられたのだそう。
「旅行ですか?」と。
「いいえ、ここに住みたくて、住む場所と仕事を探しているんです」
と答えたら、
なんと、その男性が当時、後にオーナーさんが宿泊業を始める古民家に住んでいた男性だったのだそう。
「僕は今期間就労でこの場所にいて、もうすぐここを出るんです。
僕が出た後、僕が今住んでいる場所に住んだらどうですか?」
そう言って、古民家の大家さんにオーナーさんを繋いでくださったのだとか。
彼の紹介なら全然いいよ!ということで大家さんは、快く古民家を貸してくださることになったのだそう。
そんなこんなでオーナーさんは古民家を借りることになり、古民家を自分で改装し、宿泊業を行なって生計を立てることになったのだそう。
わたしが今回の旅の中で考えたかった大きなテーマが、
“わたしはどんな未来を作りたくて、それをどう創造していくのか”
だったのかもしれない。
だから、理想の未来像のようなものが頭に何度も浮かんでいた。
でもどうやってそれを叶えていくんだろう、というところに引っかかっていた。
この最終日に、宿のオーナーさんから伺った素敵なお話が、わたしへの答えだったんだと思った。
わたしたちは、もちろん肉体を持った人間なんだけど、でもただの人間じゃない。本当はとてつもない大きな力を持っていて、自由に創造していく力を持っている。
それは、ときに「不思議な話」と言われることかもしれないけれど、実は不思議な話でもなんでもなくて、それが当たり前の、本当の姿なのかもしれない。
純粋に、エゴではなく純粋なものを願う、意図をする。
ただ自分がクリアな状態でいる。
高い高い周波数でいるとき、つまり愛でいるとき、
つまり恐れや疑いがないとき、
こんなことが「不思議」ではなく「当たり前」になっていくのかな。
なぜここでこんなに都合よくこの人に出会う?
なぜここで都合よくこれが得られるの?
そんなふうに。
ついつい、あれこれ細かく計画して起きる出来事をコントロールしたくなってしまうけれど、自分の周波数をクリアな状態に保つこと以上に、大切なことはないのかもしれない。
やっぱり、少しずつ、少しずつ、
わたしはわたしの中の純粋なものに触れていきたい。
それを邪魔するものを手放していきたい。
この西表島の旅から1ヶ月以上経った今、
前よりも少しそんな思いが強くなった。
難しいけど、諦めないぞー。という気持ち。
少しずつ、少しずつ、頭で考える時間を減らせるように。
わたしはわたしのペースで、わたしのために、頑張ろう。
なんだかただの決意表明のような文章になってしまったけど、とてもスッキリした。@コメダ
余談・・・
今日は夫の対応に少し悲しくなって(聞いてほしかったわたしが2人にとって重要だと思ってた話を適当にあしらわれ、即座に夫の仕事の話に切り替えられた)、わたしはわたしを大切にしてもらえなかったと夫に怒りを感じたように思ったけれど、それは実はわたしがわたしを大切にしてなかったことへの苛立ちだと気づいて、何度も何度もわたしを物理的に抱きしめて、撫でて、何度も何度も自分を励まし、自分に共感してあげた。とても落ち着いた。
1人で家じゃない場所でゆっくりしたくなって、夜遅くまで空いてるコメダに来た。
紙のノートに書き出していたらスッキリしてきて、ずっと書こうと思って先延ばしにしていた記事まで書けてしまって嬉しい。
相手に思うことは、自分に思っていることだったりする。
大切にしてよ!って思うときは、自分が自分に大切にしてほしいと思っているときだったり、ね。
さて、帰ろう。