今日こそ、お出かけしようと思っていたのだけど、富士山も見えない曇天にまたも出かける気が失せていく・・・
おうちにいたい・・・。でも行こうと思っていたカフェに今日こそ行きたいし、行かなければ・・・そう思っていました。
でも、今日はおうちでシナモンロールが作りたい&食べたい気持ちになっていたので、その気持ちを優先させて、シナモンロールを作りました。
今日もわたしは家でパンを作っている。昨日もわたしは家でずっと料理をしていた。
正直、今日はその自分に罪悪感を感じていました。
誰とも会わず(今夫は東京にお出かけ中)、ただ自分の好きなことをやっている。誰かの役に立つわけでも、料理やパン作りを仕事にしているわけでもなく、わたしはわたしがやりたいという理由だけで、何の役に立つかも分からない、自分の将来の役に立つかもわからない、ただ好きなことを、仕事もせず、みんながお仕事しているど平日にやっている。
このことがわたしを罪悪感で苦しめます。
この罪悪感はわたしが手放さなければいけないもののひとつです。
これは生きてきた中で身についてきた固定概念のようなものが影響しているように感じています。
”好きなように生きる”
わたしはこの言葉に対して、今の時点では喜びよりも罪悪感を感じます。
生きてる限り社会の役に立たなければ。お金を稼ぐお仕事をしなきゃ。自分の好きなように生きるなんてそんな自己中心的に生きてはいけない。と思ってしまいます。
なにもずっと、一生社会の役に立たないと決めたわけではない、人生のほんのひととき、誰の役にも立たないけれど自分が好きなことだけをする期間があったって良いのに。
それでもなんでそんなにも自分を追い詰めてしまうのだろう。
わたしは最近、日本の歴史に興味を持っています。
縄文時代は戦争もなくとても豊かでクリエイティブな平和な時代だったと言われています。
当時の狩猟採取などの労働時間は4時間ほどと言われています。
それから弥生時代になって稲作が始ったことをきっかけに、土地と水田を争い、戦争や身分の差が出てきて、飢餓に苦しむ時代も出てきたようです。
昔とは生き方も環境も全てが今は全く違うけれど、でも「戦い」という点では同じだなぁと思うのです。わたしたちの国は今、戦争はないけれど、でも人はずっと戦っている。
肩の力を緩めて生きることが難しい社会のように感じます。
働いていない人より働いている人の方が偉くて、効率が悪い人よりも効率が良い人の方が偉くて、目に見えないものは無視され目に見える成果が大事だとされて、お金を稼げない人より稼げる人の方が偉くて、何も持っていない人よりたくさん持っている人の方が偉くて、学歴がない人よりある人の方が偉くて、見た目がダサい人より見た目がイケてる人の方すごくて、、、挙げるとキリがないほどたくさんの比較が存在する。
こんなことを書いていると、ナチスドイツの優生思想を思い出します。
最近は少しこの概念も変わりつつあるし、”どっちが良いとか悪いとかではない”とも言われ始めているけれど、でもやっぱりまだまだ日本には上述の概念がはびこっているように感じます。
社会にはたくさんの「優れている」とされているもの、「優れていない」とされているものが存在しているように感じます。
社会が認めている「優れている」に当てはまらないと、迫害される恐れ、”死の恐怖”が長い歴史の中でわたしたちに刻まれ、先祖代々から祖父母へ、祖父母から両親へ引き継がれ、両親からわたしたちへ引き継がれているのではないかとすら感じる。
戦いに勝っていなければ、わたしたちは生きていけない、傷ついてしまう恐怖心。
人間の最大の恐怖は「死」の恐怖だそう。
スクールカーストなんてそんな名残のように感じる。
あったよね、学生時代。スクールカースト上位にいることが優位だっていう概念。スクールカースト上位は下位を見下している概念。
ずっとずっと続いているこの思想を、私たちはどこかで断ち切らないければいけないのだと思う。
冒頭の今日のわたしの罪悪感。これはこの思想に関係していないと思うように見えて、実は関係していると思っている。
どうして、数ヶ月働かずして生きていくだけのお金は持っているのに、稼がなければいけないと思ってしまうのだろうか。
どうして、誰かの役に立つ何かを成していないといけないと思ってしまうのだろうか。
どうして、どこかに出かけて外側から経験でも知識でもとにかく何かを得なければいけないと思ってしまうのだろうか。
全部、「生きのびるため」ではないか。戦いに勝たなければ生きていけないから。
・お金を稼いでいないとお金が尽きて食べ物が買えなくなって死んでしまう(という思い込み)
・何も成していない生産性のない人は生きていてはいけない(という思い込み)
・何かを得ていないと価値がない人になって社会から不要だと思われて生きていけなくなる(という思い込み)
よーく改めて読むと、「そんなわけないじゃん」と思うほどの思い込み。。
それでも人間は無意識にこうやって過去の何かをきっかけに「恐れ」「不安」を抱いているのだと思う。
ダラダラしていると怒られた過去とか、例えばゲームやお絵描きとか遊んでばかりいると怒られた過去とか。
身の回りの人が生産性のない人を小馬鹿にしているところを見た過去とか。
ずっとずっとこんな思い込みを持ち続けていると、自分の子供にも無意識に思い込みを与えてしまうし、何より自分が生きづらいから、少しずつ少しずつ、小さくしていきたいなぁ。
それにしても、シナモンロール作りは楽しかった。そして美味しかった。



