あるネットの記事を見ていたら、
今の若手社会人は「ありのままの自分でいたい」という気持ちと、「何者かになりたい」という矛盾する価値観を持ち合わせている、というようなことが書かれていた。
その記事の中で言う「ありのまま」とは、好きな場所で働く、休みたい時に休める、ということであり、「何者かになりたい」とはこの分野で有名になりたい、若いうちに成功体験をしたい、という意味のようだ。
記事の全文を読んだわけではないのだけど、上述の葛藤については、すごくすごく、気持ちが分かるなぁって思って読んでいた。
ありのままの自分でいたいって、きっと、「自分らしく生きたい」ってことなんじゃないかなってわたしは感じた。
自分が感じるままに、世間の”こうあるべき”ではなく、自分がしたいことを、したいように生きたいっていう。
この記事が意味することと、わたしが共感しているポイントが同じなのかは分からないけど、
わたしは、ずっとずっと自分らしく生きたいって思って生きている。
だけど、自分らしく生きようとすればするほど、社会から疎外される感覚がある。
自分が社会不適合者のような感覚になっていく。
なぜなら、自分らしく生きるって、世間の大多数が思う”正解”とは必ずしも同じではないから。
大人になる過程での教育の中で(それは家庭での教育でも、学校での教育においても)、私たちには「認められたい」「愛されたい」「すごいと思われたい」っていう執着のような制限がこびりついてしまっているように感じる。
世間の大多数、または自分の周りにいる身近な人たちの大多数が思う”正解”から外れれば外れるほど、自分の周りにいる身近な人たちから「認められること」「すごいと思われること」からは離れていく。
社会での”正解”が何かは人によっても違うし、生きてきた環境が違う人たちの中で同じであるわけはないけど、少なくとも自分自身が生きてきた環境の中で「これが正解(みんながすごいと思ってくれる道)なんだろうなぁ」というものがある。
だけど、その道が自分の心からやりたいことではないこともある。(気付いていない場合が多いだけで本当はほとんど違うんだと思ってる)
例えば、記事の中にもあったけど「有名になりたい」って言うのは正にそれではないかと思う。
多くの人が、「有名になりたい」とか「影響力を与えられる人になりたい」とか思うけど、それはなぜかを深掘りしていくと、「認められたい」「評価されたい」に繋がることが多いのではないかと思う。そうじゃない場合もあると思うけど。
そうすると、「有名になるためにはどうしたら良いか?」を考え始めて、「自分らしく生きる」からは遠ざかっていくように感じる。
認められるために「世間の正解」を目指してしまって、そうなるためにはどうしたら良いか?を考えているうちにどんどん自分が本当に感じている心からの願いから遠ざかってしまって、「なんだか苦しい」という状況になる。
わたしも何度も何度も経験している。
この記事を読んで、現代の若手社会人が”矛盾する2つの価値観を持ち合わせている”の意味するところは、「本当の自分で生きたいけど、人から認められていたいし、社会の競争に勝ちたい」という葛藤なのかなってわたしは感じたのでした。
「ありのままの自分でいたい」
「自分らしく生きたい」
って人によって意味するものが違うと思うけど、
本当の本当に、本質的な自分で生きたいと思うのならば、「人から認められたい」「勝ちたい」という欲求は、手放すと決めて、時間をかけて手放していくしかないとわたしは思っている。