「運」という言葉について

もう秋だなぁ〜秋といえばさつまいも。スイートポテトが作りたい!そう思い立って今日はスイートポテト作りを楽しみました。
(秋といっても私が今住んでいる地域は8月にはすでに秋を感じていて、今日は空気の冷たさから冬さえも感じた・・・)

話は変わり、昨日、youtubeでたまたまヒカキンと福山雅治がコラボしている動画が出てきて観ました。

その動画の中で、ヒカキンが福山雅治に「これまで活動を続けてこられた理由は?」という質問をしていて、それに対する福山雅治の回答が、
「9割が運」
だったんです。

「運」って何だろうって、運という言葉の意味を調べたくなって検索してみたら、

人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越したはたらき。

とのこと。

わたし、ずっと自分が本質的に何なのか、誰なのか、知りたいと思って生きています。
その学びを進める中で、自分が小さな頭の中で考えた”ただの人間”ではないということを知り始めています。
完全な理解はできていません、ただ、これまでの人生の中で、経験して、体験してきたことから、ほんのカケラのような小さな小さな理解をしていて、いつか、それは真実なんだと完全に信じたい、理解したい、と思うようになりました。

恐らく、「運」の言葉の意味「人間の意思を超越したはたらき」って日本で言うと神様が思い浮かぶと思うんだけど、「運」という言葉が「はこぶ」って意味もあるように、自分ではない誰か他のすごい人が運んできてくれるものって捉えられることが多いんだろうと思う。でも、私はそれが「自分以外の誰か」ではなくて、「自分」なんだと信じたくて。

自分自身が「人間の意思を超越したはたらきの存在」なんだと信じたくて。

その存在はとてもピュアで正直なんだとわたしは思っている。

youtubeの中で福山雅治が「自分よりかっこいい人、歌が上手い人、ギターが上手い人なんて他にいるわけで、そんな中で自分が他の人と何が違っていたかというと運だ」というようなことを言っていた。
恐らく自分自身のことを「人間の意思を超越したはたらきをする存在」とは思っていないにしろ、きっと、福山雅治は自分のことを「自分ならできる」と信じることができていて、ピュアで、自分の心に対して正直だったんじゃないかなって私は思わされたのでした。

自分が生きたい人生を創造するためには
知識や技術や人よりもすごい何かを身につけようとするよりも、本当に大事なことって、もっとすごくシンプルなことなんじゃないかって改めて感じたのでした。それは、外側から得られるものではないということも。